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教育ニュース
保護者との協力は、学校教育を進めるうえで欠かせない要素です。一方で、ごく一部ではありますが、対応に困るほど強い要求や心ない言動が寄せられることがあり、現場では負担を感じる場面も生まれています。
都内公立学校の教職員を対象に行った調査では、「過去に保護者などから長時間拘束・暴言・過度な要求などを受けたことがある」と答えた教職員は 23% でした。そのうち 約88% が加害者を「保護者」としています。
この結果は、「学校現場で、カスハラ的言動を経験した教員が一定の割合にのぼっている」ことを示しています。 「保護者の気持ちに寄り添うべきだ」という職業倫理と、「これ以上は耐えられない」という現場の悲鳴。そのあいだにある境界線は、どこに引かれているのでしょうか。
この記事では、裁判例と文部科学省・東京都教育委員会の指針をもとに、教師自身と子どもを守るための「法的な防衛ライン」について考えていきます。

保護者の意見がどこまで正当で、どこからが違法なのか──その判断を知るために、象徴的な3つの裁判例を見てみます。
まず押さえておきたいのは、どれほど強い思いがあっても、“人格否定”は許されないという司法の基本姿勢です。 平成26年の横浜地裁の判決では、深夜・早朝の電話や、「辞めろ」「給料泥棒」といった罵倒を教員に続けた保護者に対し、裁判所は賠償を命じました。親として意見を述べる権利は認めつつも、執拗な人格攻撃は社会通念上許容されない、と明確に判断したのです。 子どもを思う気持ちがあっても、行動が度を超えれば、それは対話ではなく“違法行為”に変わります。
一方、現場にとって少し厳しい判決もあります。 平成29年の東京地裁では、特別支援学校の保護者が連絡帳で細かな指示を続けたケースについて、教員側の訴えは退けられました。暴言や威嚇がなく、内容が教育に関わるものであれば、“親としての正当な関心”と解釈されるという判断です。 この判決は、法律だけで問題解決することの限界を示しており、学校組織として「対応できる範囲」の線引きを事前に整えておく重要性を示しています。
そして、忘れてはならないのが平成30年の甲府地裁の教訓です。 小学校教員が家庭訪問中に犬に咬まれる事故をきっかけに保護者とトラブルになった際、校長は事実確認を行わずに部下へ土下座を強要し、翌日には単独での謝罪訪問を命じました。裁判所はこれを「安全配慮義務違反」と認定しました。 問題の核心は、保護者の怒りそのものではなく、学校が教員を守らず孤立させたことにありました。
では、現場の教員はどのように動けばいいのでしょうか。 令和5年公表の文部科学省のマニュアル(活用資料)や、東京都教育委員会の『学校問題解決支援の手引』では、個人の我慢に頼らない“組織対応”が明確に求められています。
まず重要なのは、一人で抱え込まないことです。 どちらの指針でも、初期段階から管理職を含む複数名体制で対応することが強く求められています。これは負担軽減だけを目的としたものではありません。労働契約法上の「安全配慮義務」を果たすためにも、密室で一対一の対応を避けることが必要です。複数名での面談は、事実確認を確実にするだけでなく、教員自身を守る盾にもなります。
次に重要なのが、「記録」を残すことです。 東京都の手引では、時系列で整理した詳細な記録の作成を推奨しています。後にトラブルがこじれた場合、客観的な記録は事実を示す唯一の証拠となります。 さらに文科省のマニュアルでは、必要に応じて録音を行うことも示されています。黙って録音することに抵抗がある場合は、「誤解を防ぐため録音させていただきます」と伝えることで、誠実な対応として受け止められることが多いでしょう。
そして、対話の限界を感じたときは、毅然とした対応が必要になります。 東京都の手引では、暴力、威嚇、長時間の居座り、土下座強要などを「不当要求行為」と定義し、警察への通報を含む法的措置を検討すべきとしています。「お引き取りください」と伝えても帰らなければ不退去罪、大声で業務を妨げれば威力業務妨害罪に当たります。 これらのレッドラインを知っておくことで、必要以上に耐える状況を避けられます。
法的な備えは大切ですが、学校の本来の目的は保護者と対立することではありません。理想は、日頃から“対話できる関係”を築き、トラブル自体を起こりにくくすることです。 文部科学省の『生徒指導提要(改訂版)』でも、事後対応より「未然防止」が重視されています。
保護者が学校に不信感を抱く大きな理由は、「学校の様子が見えにくい」ことにあります。OECDのTALIS調査でも、日本の学校は外部との情報共有が少ないと指摘されています。 だからこそ、学級通信やメール配信などで子どもの学校での様子をこまめに伝える“透明性”が大切になります。「この先生は隠しごとをしない」という信頼があれば、万が一トラブルが起きても、保護者は攻撃的な対応ではなく、まず話し合いを選んでくれるはずです。
また、問題が起きたときにこそ欠かせないのが、事実を丁寧に共有する姿勢です。 保護者が怒りや不安を強める背景には、「学校が本当のことを話していないのではないか」という疑いが潜んでいることがあります。たとえ言いづらい内容であっても、できる限り迅速かつ正確に情報を伝えることで、「この先生は誠実に向き合おうとしている」という安心感につながります。信頼は一度に生まれるものではありませんが、日常の小さな積み重ねが、いざというときの大きな支えになります。
さらに、保護者との関係づくりにおいては、「感情への共感」と「事実の確認」を切り離して考えることも重要です。保護者の思いに耳を傾けつつも、感情に流されず、子供の状況や学校の対応を客観的に説明することで、対話の土台を整えることができます。このバランスがとれているほど、相手は冷静さを取り戻しやすくなり、結果として双方にとって納得のいく解決につながります。
教員の仕事は、子供たちの成長を支える重要な職務です。しかし、過度な要求や不当な言動によって、その力が奪われてしまっては、本来守るべき子供たちにも影響が及びます。裁判例や国のガイドラインが示す「境界線」を理解し、学校という組織全体で教員を支える仕組みを整えることが、安心して働ける環境づくりの鍵になります。
保護者との対立を避けることが目的ではありません。互いに信頼し合い、子供の成長という共通の目標に向かうために、必要なルールや支えを持つことが大切なのです。教員が安心して日々の教育に専念できるよう、学校全体で知識と姿勢を共有し、支え合う文化をつくっていきましょう。
【参考文献・出典】
(日本教科書編集部)