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「文章は完璧。道徳的価値への理解も深い。でも、なぜか生徒の顔が見えてこない……」 最近、生徒の提出物にそんな違和感を覚えるという声が、多くの学校現場から聞かれます。
GIGAスクール端末の持ち帰りが日常化し、生成AIが定着した今、道徳の授業における「感想文」や「振り返り」のあり方が問われています。 本記事では、現場で課題となっている「評価の難しさ」の現状と、教育DXのトレンドである「個別最適な学び」「協働的な学び」の視点から見えてくる、新しい授業づくりのヒントをご紹介します。
「GIGAスクール構想」による1人1台端末の定着から数年。いま、職員室で頻繁に話題に上がるのが「生成AIと評価」の問題です。
文部科学省や民間企業による様々な意識調査において、多くの教師がAI利用への懸念を抱いていることが明らかになっています。その不安の内訳を見ていくと、「生徒が自分で考えなくなる懸念」と並び、常に上位に挙がるのが「学習成果の評価が難しくなる」という深刻な悩みです。
かつての「コピペ」であれば、文体の変化や不自然な語彙で違和感を抱くことができました。しかし、近年の生成AIは「中学生らしい文体で」「あえて少し誤字を混ぜて」といった指示さえこなし、自然な文章を生成します。
ある中学校教員は、現場の苦悩をこう語っています。
「あまりに整然とした感想文を読むと、素直に褒める前に『これ、本人が書いたのか?』という疑念が先に立ってしまう。そんな疑いの目で生徒を見なければならないこと自体が、教師として苦しい」
特に、数値化しにくい「内面」を扱う道徳において、この「AIによる整った回答」と「本人の思考」の境界線が曖昧になっている現状が、大きな課題となっています。
「どうすればAIが書いた文章を見分けられるか?」 研修会などではこうした技術的な質問も多く出ますが、専門家の間では「判定作業にリソースを割くのは現実的ではない」という見方が主流になりつつあります。
その背景には、2つの理由があります。
一つは技術的な判定の困難さにあります。 現在、AI生成テキストを100%正確に見抜くツールは確立されていません。AIは日々進化しており、「AIチェッカー」のようなツールとの競争はまさにいたちごっことなっています。もし誤って、生徒が自分で書いた文章を「AI使用」と疑ってしまうリスクは、生徒との信頼関係に関わるデリケートな問題です。
二つ目は、より本質的な指摘として、「AIで満点に近い回答が出せてしまう課題設定」への見直しも議論されています。「友情とは何か」「主人公の気持ちをまとめよう」といった一般的な問いに対し、AIは膨大なデータから「誰もが納得する正解」を瞬時に導き出します。 逆に言えば、AIが答えられる問いは、「生徒自身の固有の体験や葛藤」を必要としていなかった可能性が示唆されているのです。
では、これからの道徳授業はどう変化していくのでしょうか。 文部科学省が掲げる「令和の日本型学校教育」の重要キーワードである、「個別最適な学び」と「協働的な学び」。この2つの視点で整理すると、AIの活用どころが見えてきます。
まず、教育におけるAI活用で最も期待されているのが「個別最適な学び(個に応じた指導)」の実現です。
たとえば一人ひとりの考えを言語化する際、AIが「壁打ち相手」となり、論理の飛躍を指摘したり、多様な語彙を提案したりしてくれます。また個々の理解度に合わせて、AIが解説のレベルを調整したり、誤字脱字を即座にフィードバックしたりする。
これらは「個人のスキル」を高める上で非常に有効であり、AIは「最強の家庭教師」になり得ます。しかし、道徳科においては、これだけでは不十分だという指摘もあります。なぜなら、AIの回答は論理的に正しくても、そこには「他者との摩擦」がないからです。
道徳科が本来目指しているのは、多様な価値観を持つ他者と関わり合い、自分の考えを広げ深める「協働的な学び」です。 教室には、感情的だったり、矛盾していたり、AIのような正論ではない意見を持つ「生身の他者」がいます。この「他者というノイズ」に触れ、心が揺さぶられる体験こそが、AI単独の学習では得られない価値です。
では、具体的にどう授業をデザインすればよいのでしょうか。2つのアプローチをご紹介します。
「AIを使わせない」のではなく、あえて教室で堂々とAIを使ってみるのも一つの手です。 例えば、授業の終盤で教師がプロジェクターに「ChatGPTが書いた優等生的な感想文」を映し出します。そしてこう問いかけるのです。
「これはAIが書いた感想です。とても整っていますが、今日の授業を受けたみんなから見て、”何が足りない” と思いますか?」
「この文章にはなくて、みんなの話し合いの中にあった”大切なこと”はなんですか?」
AIが書く文章は、往々にして「無難な正解」です。それを批判的に検討させることで、生徒は「AI以上のこと」を書こうとします。整った文章ではなく、教室での対話から得た「生々しい気づき」こそが価値あるものだと認識させる効果があります。
AI対策の決定打となるのが、「メタ認知(自らの思考を客観的に捉える力)」を評価の軸に据えることです。 「成果物」としての感想文だけを見ると、AIかどうかの判断に迷います。しかし、「授業を受ける前と後で、自分がどう変化したか」は、その場にいた本人にしか語れません。
授業の冒頭で書いた短い意見(Before)と、終末の感想(After)を並べさせ、その「変化の理由」を書かせます。
「授業の最初、自分はこう思っていた。でも、〇〇さんの意見を聞いて、また主人公のこの行動を見て、考えがこのように変わった(あるいは深まった)」
この問いに答えるには、「他者の意見(協働)」を取り入れ、さらに「過去と現在の自分の違い」をモニタリングする高度な「メタ認知」が必要です。 AIは膨大な知識を持っていますが、「たった今の対話で心が動いた自分」を認識することはできません。
このように、AI時代における道徳の評価は、「立派なことを書いたか(結果)」から、「協働的な学びを通じて、どうメタ認知を働かせたか(プロセス)」へとシフトしていきます。
AIを「個別最適な学び」のツールとして活用しつつ、最終的には人間同士の対話でしか生まれない「気づき」へ着地させる。 そうして生徒自身の言葉を引き出すことこそが、これからの教師に求められるファシリテーターとしての役割と言えるでしょう。
AIが論理的に完璧な「正解」を瞬時に出力できるようになった今、逆説的に価値を高めているのは、教室という空間で他者と関わる中で生まれる「揺らぎ」であり、そこから生まれる「葛藤と変化のプロセス」です。
「個別最適な学び」はAIに任せることができるかもしれません。しかし、多様な他者と出会い、自己を相対化する「協働的な学び」は、人間にしか生み出せません。
AIを賢く使いこなしつつ、最終的にはAIが決して到達できない「人間臭い対話」の場へと生徒を導くこと。それが、令和の教師に求められる新しいファシリテーションの形と言えるでしょう。
【参考資料】
初等中等教育段階における生成 AI の利活用に関するガイドライン
「令和の日本型学校教育」の構築を目指して~全ての子供たちの可能性を引き出す,個別最適な学びと,協働的な学びの実現~(答申)(中教審第228号)
(日本教科書編集部)