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『ケアの時代』と学校教育――自立をどう育むか

2025.06.30

現代社会が「ケア」を求める背景

近年、社会全体で「ケア(care)」という概念が強く重視されるようになっています。その背景には、現代社会が抱える複雑な問題が横たわっています。少子高齢化による介護・福祉ニーズの増大、核家族化や地域コミュニティの希薄化による孤立、そしてデジタル化の進展に伴う人間関係の断片化や精神的ストレスの増加――私たちはかつてないほど「人のつながり」「心の健康」の重要性を認識するようになりました。こうした社会的変化の中で、相互の支え合いや共感の必要性が高まり、「ケア」は単なる個人的な行為を超え、社会全体で取り組むべきテーマとして浮上してきています。

教育現場への波及と「きれいごと」への疑問

このような背景のもと、「ケアブーム」とも呼べる潮流は、当然のことながら教育業界にも大きな影響を与えています。いじめ、不登校、家庭環境の困難、SNSをめぐるトラブルなど、生徒の心のケアに関する課題が複雑化する中で、「生徒の気持ちに寄り添うこと」が教師の大切な使命として語られるようになりました。

この“ケアブーム”は、一見すると教育の理想像のように思えます。ですが、実際に教科書編集の現場に長く携わってきた筆者としては、現場で語られる「子どもに寄り添う」「子どもの主体性を尊重する」といった言葉は、その理念の素晴らしさとは裏腹に、時に現実との乖離を感じています。

社会に出れば、必ずしも自分を理解してくれる人ばかりではなく、異なる価値観や厳しい環境の中で折り合いをつけながら生きていかねばなりません。であるならば、学校という比較的安全な空間で、ある程度の葛藤や失敗を経験し、そこから立ち直る力を育てることも、教育の重要な役割ではないでしょうか。

「ケア」が抱えるジレンマ:自立を育む機会の減少

ケアブームがもたらすもっとも深刻な課題の一つが、生徒の自己解決能力とレジリエンス(回復力)の低下です。教師が生徒の感情に過度に介入し、「傷つかないこと」「無理をさせないこと」を最優先するあまり、生徒が困難に立ち向かい、それを自ら乗り越える経験が失われつつあります。

たとえば、些細な人間関係の摩擦や学習のつまずきがあったとき、本来であれば当事者同士で対話を通じて調整しようとする場面でも、先回りして大人が介入し、解決を“肩代わり”するケースが増えています。「まず心を守ること」が強調される結果、生徒たちは摩擦や葛藤を「学びの材料」として活かす機会を奪われているのです。

もちろん、不登校や精神的な問題には多様な要因が絡み合っており、すべてが“過剰なケア”のせいとは言い切れません。しかし、「無理をしなくていい」「心のケアを最優先しよう」という学校側の姿勢が、場合によっては「困ったら避ける」という選択を生徒に促しやすくなっているという指摘もあります。

実際、厚生労働省「国民生活基礎調査」(2022年)によれば、精神疾患を抱える患者数は年々増加傾向にあり、とりわけ若年層の「心の不調」が深刻化していることが報告されています。文部科学省の調査でも、2022年度の不登校児童生徒数は約29万9千人と過去最多を記録しており、今後も増加傾向が続くと見られています 。

これらの数字は、「過剰なケア」の是非を単純に論じるものではありませんが、教育の本来の目的である「人としての成長」を支えるために、“支えすぎないケア”という視点が必要ではないかという問いを、私たちに突きつけているようにも感じられます。

教師への過大な負担と専門性の喪失:感情労働のゆがみ

ケアブームは、生徒だけでなく教師にとっても無視できない影響を及ぼしています。もともと教員は教科指導だけでなく、生徒指導や保護者対応など多岐にわたる業務を担ってきました。そこに近年、メンタルケアや個別最適化の対応、保護者との協調的関係の構築といった“見えにくい労働”が増加し、現場の負担は限界に達しつつあるという声も聞きます。

実際、東京都内の中学校では、授業中に担任が「もっと丁寧な対応を」とやや強めに指導したところ、後日保護者から「威圧的な言葉遣いだった」「子どもが怖がっている」と抗議の連絡が入り、教育委員会への報告から始まった対応に追われ、教師は1週間にわたり事務的・心理的負担に押し潰されたというケースも報告されています。

このような感情労働の肥大化は、データにも表れています。OECDが公表した「国際教員指導環境調査(TALIS)2018」によると、日本の教員の労働時間は加盟国中でも突出しており、部活動指導や生徒対応の比率が高いことが指摘されています。さらに文部科学省の調査では、公立学校教員のうち精神疾患による休職者数は6,539人(2022年度)と高止まり傾向にあり、教員が「専門家としての本来の役割」に集中できない構造が常態化していることが分かります。

教育の質を支えるためには、ケアの実践を教師一人に背負わせるのではなく、養護教諭・スクールカウンセラー・外部専門機関との「分担と連携」を制度的に整える必要があります。教員が「何でも対応しなければならない」という呪縛から解き放たれることで、教育の専門性と生徒への適切なケアの両立が可能になるはずです。

「共感」の名の下の「思考停止」

また、ケアを重視するあまり、「どんな感情も肯定されるべきだ」という風潮が強まっている点にも注意が必要です。もちろん、感情に寄り添う姿勢そのものは教育にとって大切な基盤ですが、それが「間違った行動」「他者への配慮を欠いた言動」まで容認する空気につながってしまえば、教育としての本質から逸れてしまいます。

たとえば、ある自治体の中学校では、LINEを通じた陰湿ないじめが発覚した際、加害生徒の「不安定な気持ち」に配慮するあまり、懲戒的指導が見送られ、被害生徒の側が転校を選ばざるを得なかったというケースが報告されています。文科省も、いじめの重大事態において被害児童生徒が学校に居場所を失い、離脱を強いられる構図に対し警鐘を鳴らしています。

教師が生徒に「悪いことは悪い」と伝えることは、その子どもの人格を否定することではなく、「社会の中でどう生きていくか」を示す大切なメッセージです。共感と規範のあいだにある繊細なバランスを保ちつつ、感情を支えながらも、行動には責任があるという価値観を共有していく必要があります。

終わりに

ケアブームは、人との関係が希薄になりがちな社会における、時代の要請なのかもしれません。その根底にある「優しさ」や「支え合い」を否定すべきではありません。しかし今、私たちが問うべきは、「優しさ」が本当に子どもの未来にとって意味ある支援となっているのかどうかです。

感情のケアに偏りすぎた教育は、生徒の自立や回復力の育成を妨げ、教師の専門性を奪いかねません。ケアは目的ではなく、教育目標を支える“手段”であることを再確認する必要があるのです。この認識こそが、次のステップへ進むための不可欠な前提です。

では、どうすればよいのでしょうか。

  • 「支える」ことの先に、「自ら立つ力」を育てる教育へ
  • 教師が背負い込まず、チームで支える体制づくりを
  • 共感と規範、両方を大切にする対話的な授業の設計

教育は、子どもたちが他者と共に生き、困難を乗り越える力を育む営みです。そのために必要な「ケアの再定義」を、今こそ私たちは始めなければなりません。ケアを「優しさの押しつけ」ではなく、「自立への後押し」へと転換する。それが、次の時代の教育における“ほんとうのケア”になるのではないでしょうか。

参考資料・出典

※1:文部科学省「令和4年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」(2023年10月)
https://www.mext.go.jp/content/20231004-mxt_jidou02-100002753_2.pdf

※2:文部科学省「公立学校教職員の人事行政状況調査について」(2023年12月)
https://www.mext.go.jp/content/20231225-mxt_jinji01-100002753_001.pdf

※3:文部科学省「いじめ防止対策協議会・報告書(令和5年度)」
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1362255_00001.htm

【日本教科書編集部】